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初めてのヨガレッスン:井坂先生との出会い

子どものころからの運動嫌いがたたって、中年になって心身共に不調を感じ、消去法で(一番らくそうな)ヨガを始めると決めた。まずは本やネットやDVDを観ながら少しやってみたが、なんだかよくわからない。そこで、思い切って教室に通うことにした。

いきなりキラキラしたヨガスタジオは気がひける。さらに、ヨガスタジオはチケット制だったり、月会費制だったりが多い。いつ行ってもいいとなると逆に続かないのが私の性格である。なので、週に1回、カルチャーセンターに通うことにした。名古屋に住んでいたので、当時栄の中日ビルにあった中日文化センターにした。栄というのは名古屋の中心、東京で言えば銀座とか渋谷のような一等地である。中日文化センターは大きなビルのフロアーを2つ使っていて、規模の大きい、たぶん東海地方で一番大きなカルチャーセンターである。ヨガのクラスも充実していて、ほぼ毎日、朝、昼、晩と開講されていた。

いろいろな名前のクラスがあったが、よくわからないので、とりあえず、一番都合のよい時間に開講しているクラスにした。水曜日の午前中、井坂津矢子先生の「足心ヨーガ」のクラス、月に4回で月謝は5~6,000円だったと思う。一般にカルチャーセンターは交通の便がよいわりに、リーズナブルな料金設定の場合が多い。

井坂先生は当時すでに60代半ばの大ベテラン。緊張しながら初回のレッスンに行くと、先生は名簿と私の顔を見くらべて、「たけこしみなこちゃん、ね」とにっこり笑った。これにはびっくりした。40過ぎた私のことを初対面で「みなこちゃん」と呼んでくれた人は、かつて、いなかった。続いて、「今日初めてね。一番前に座って。○○さん、場所変わってあげてね。」と、一番よく見える場所に案内してくれた。30人ぐらい入れる大きなスタジオなので、たしかに初めてで後ろだとよくわからないだろう。

次の先生の言葉はさらに驚くべきものだった。「ヨガはね、がんばらなくていいのよ。できなくてもいいのよ」えー!がんばらなくていいんですか?できなくてもいいの?昭和世代なので、子どものころから「がんばれ」と言われてきたし、「できること」がいいことだと思ってきた。学校の体育でがんばれなくて、できなかった私も「ヨガなら」とほっと、肩の力が抜けた。(すでに泣きそうだった)

先生のクラスは、途中で退出しても、あるいは寝ていてもいいことになっていた。初めのうち私は体力がなくて、立ちポーズはすべてスキップして寝ていた。(いえ、シャヴァーサナをとっていた)それでも先生は「みなこちゃんは、ヨガがよくわかってる」とほめてくださった。

先生の口癖は「ヨガは形ではない」だった。「ヨガは形じゃないのよ、どんな格好でもいいから、まずやるのよ。からだは必ず変わっていきます」この言葉に何度力をもらっただろう。

初めて出会う先生は大事である。今なら、どんな先生でも、どんなヨガでもある程度受け入れることができる。が、一番はじめの何もわからなかったときに、また子ども時代のような挫折感を味わったら、きっと1日でヨガをやめていたと思う。その後、結局約10年、井坂先生のもとに通い続けることになる。

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44歳でヨガをはじめた理由

44歳でヨガをはじめた。幼いころから運動に苦手意識があり、あまり好きではなかった。(はっきり言うと、からだを動かすことは嫌いだった)大学2年でいわゆる「学校の体育」が終わってから、ほとんど運動らしい運動はしていなかった。

私が運動に苦手意識をもったのは、小学校1年のときだ。

小学校に上がるとき、母が言った。「学校に行ったら先生のいうことをちゃんと聞いていなさい。」私はそれを忠実に守った。授業中によく手をあげて、発言もした。わかっていても恥ずかしくて手があげられない子もいたと思う。でも私は恥ずかしいという気持ちがあまりなく、よく手をあげて発言した。その甲斐もあって、初めて通知表をもらったとき、すべて5だった。体育を除いて。体育だけは3だった。そして先生からのコメント欄には、「苦手な体育も一生懸命にやっていて、好感が持てました。」と書いてあった。

子どもなりにショックを受けた。実は私は体育が一番好きだったのだ。得意だとも思っていた。でも、先生はちゃんと見ていた。そして励ますつもりでこう書いてくれたのだろう。初めて現実と向き合ったのだ。それ以来、体育に対して苦手意識を持つようになっていた。

結局、小学校の6年間、体育はずっと3だった。2をもらったことも数回あったような気がする。一度だけ4をもらったこともあった。それはマット運動の時だった。飛び込み前転という種目があり、みんなが怖がって飛び込めない中、勇敢に飛び込んだ。それだけのことだった。

当時小学校ではやっていたドッジボールも運動嫌いになった一因だ。チームでやるので、苦手だと迷惑がかかる。真っ先にあたって外に出るのも怖いし、最後まで逃げ回って残ってしまうのも怖い。運よくボールを拾っても、投げられない。ドッジボールは試練の時間だった。

運動能力テストのようなものもあり、今でも鮮烈に覚えているのは、ボール投げだ。ボールをどこまで遠くに投げられるかというテストで、砲丸投げのように、等間隔で線が引いてあった。でも私が投げた時、周りにいた記録係の先生たちが一瞬凍り付いた。一番前の線に届かなかったのだ。先生が線を引きなおして再テストになった。大人になった今なら笑えるエピソードだが、子どもには大変な事件だった。

そういうわけで、学校を卒業してからは、まったくからだを動かすこととは無縁の生活を送っていた私だった。でも若いころはそれでもよかったのだが、40歳を超えたころから体の不調を感じるようになった。一日中だるくて、不調。さらに、体重は増えていないのに、下腹が出て、背中周りに中年特有の肉がついてきたような気がする。服を買うのも楽しくなくなっていた。このままでは、いけない。さすがの私もそう思った。

でも、運動は、きらい。いや、何かできるものがあるかもしれない。でも、まず球技は無理。小学校のボール投げテストのこともある。だいたい球技はひとりではできない。人とコミュニケーションをとったりするのも得意でないので、ひとりで、マイペースでできるものがいい。暑いのも寒いのもいやなので屋外のものはだめ。道具が必要だったり、お金がかかるのもいや。どこかに行かないとできないものは面倒なのでいや。ほとんどのものが消えていった。

最後に残ったのが、ヨガと太極拳であった。これなら特に道具も必要なそうだ。中国に興味があるし、太極拳もいいかな。でも、太極拳はずっと立ったままのようだ。ヨガならすわったり、寝たりしてもできそうだ。しかも、最後は15分間ただ寝ていればいいのだという。

結局、消去法でヨガになったというわけです。